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「誠に恐れ入りますが、このイベントは収益が一切発生しないモデルなので、料理をしてくださる方に材料費などをお支払いすることが出来ません。そのため、斎藤さんの無理のない範囲で、1000円でも500円程度の材料費でも構いませんし、参加者全員分の料理を用意する必要もないので、斎藤さんがつくりたいものをつくりたい分量だけ、無理のない範囲でつくっていただけたら幸いです」すると、斎藤さんから驚くべき返答が来た。「(ということは)逆に言えば、どれだけ金を使ってもいいってことですよね??」と言ったのだ。私は驚愕した。その発想はなかった。私は「もちろんです!」と返事をした。まさかの展開に胸が弾み、結論から言うと、斎藤さんは6000円〜7000円分の大量の食材を買い込み、参加者全員に「スパイスまみれのインドカレー」を振る舞ってくれた。ここで注目すべきポイントは三つある。1・受けるよりも与える方が満足度が高い。2・天井を設けないことで限界が突破される。3・「与える側」にまわれる機会の少なさ。乱暴な表現になるが、カオスキッチン(仮)に参加してくれた人の中で、誰よりも幸福そうに見えたのは斉藤さんだった。普通なら、無料でインドカレーを食べることができた参加者こそが幸運であり、自分で金を払って食材を買い込んで長い時間を調理に注いだ斎藤さんの生き様は、損得勘定で見れば「圧倒的に損」な役回りであったはずだ。それなのに、その場では誰よりも斎藤さんが楽しそうに見えた。「受けるよりも与える方が圧倒的に満足度が高い」ということを確信した出来事だった。参加費や予算などを設けないことで発生したハプニングによって、新しいスタイルの在り方を垣間見た気がした。そして、通常の人生の中で「自分が与える側にまわれる機会」が非常に少ないということを考えた。
タイカレー缶をお湯少なめで作ったカップヌードルに入れるとタイカレーヌードルになって美味いというのは俺だけの秘密
「優しさ、人の痛みを知ること、いたわれる人間であること。これらは人間の本能ではないから、訓練して身につけなければならない」
(司馬遼太郎)
松岡宏行さんはTwitterを使っています (via muhuhu)
何かすごい決定的なことをやらなきゃ、なんて思わないで、そんなに力まずに、チッポケなことでもいいから、心の動く方向にまっすぐに行くのだ。失敗してもいいから。
何を試みても、現実ではおそらく、うまくいかないことのほうが多いだろう。でも、失敗したらなお面白いと、逆に思って、平気でやってみればいい。とにかく無条件に生きるということを前提として、生きてみることをすすめる。
無条件に生きれば、何かが見つかる。だが、必ず見つけようとガンバル必要もない。
見つかってもいいし、見つからなくてもいい、と思えば目の前に何かが浮き上がってくるに違いない。
(略)
軽く素直に動けばよいということだ。
岡本太郎『自分の中に毒を持て』青春出版社,2002.1,P.36-37
はじめに踏み出す第一歩からゴールに辿り着こうとしてはいけない。
いいこというな。
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